つい先日、知り合いとお話しする中で「火葬後はお骨を拾わなかった」に大変びっくりされた方がいらっしゃいました。
一般常識でお骨は絶対拾うものだと思われているようですが、先々のことを考えて私の場合は拾わない選択をしました。
火葬後の「収骨しない」という選択肢があること
火葬後は収骨(お骨上げ)をしてお寺さんへ納骨したり散骨するなどをするのが一般的なのですが、私の父が亡くなった時は収骨をしませんでした。
なぜ行わなかったかと言いますと、1番目の理由は父本人の遺言によるものです。
遺言には「骨は拾うな、戒名つけるな、坊さん呼ぶな、法事するな」と書かれておりまして、全て故人の遺志によるものでした。
そして2番目の理由は、跡継ぎがいないからです。これでお墓を建ててしまうと私の没後はお墓の面倒を見る者はいなくなります。
そして3番目に、今の経済状況はまったく裕福ではありません。
父の願いは「死んだ者より生きてる者へ」
ずいぶん先に母を亡くしたのですが、その時はお葬式も盛大にやり、戒名もつけ、ちゃんと収骨もし、回忌法要も永代供養もしました。ちなみにお仏壇は買いましたが、お墓を建てるほど余裕はなかったので納骨は合同墓にしました。
しかし、葬式や戒名、法要、納骨とそれぞれかかるお布施など多額の出費に父は疑問を感じたのでしょう。
ある日とうとうお寺と揉めたようで、縁を切ったと憤慨しておりました。
父の言っていたのはこうでした。
「何で死んだ者のために多額の出費をして、生きている者の生活が苦しくなるのか意味がわからん」と。
世間体で難しい場合はあります
でも故人の遺志が全て尊重されるかどうか難しい場合があります。
それは「世間体」です。
私の場合は父の遺言を父の兄弟である親戚一同に見せ、納得していただけたので収骨しないことに特に問題は起きませんでした。
でも、地方や宗教、親戚の考え方や威厳、その地域のしきたりなどいわゆる世間体を考えると一筋縄にはいかないのが現実でしょう。
私の場合はたまたま理解のある親戚で、口を挟むご近所さんもいなく、収骨不要ができる地域でしたので事なきを得ました。
そして折りしもコロナ禍であり、年次法要などで親戚一同を呼べるような状況にもないため、その後の法要も行っていないことに誰も口を挟むようなことはありませんでした。
収骨をしないメリット・デメリット
ここでは私が感じた収骨しないメリット・デメリットを挙げていきます。参考になれば幸いです。
収骨しないメリット
- お骨がないので納骨や法要などのために菩提寺を探さなくても良い
- お葬式や戒名は不要で家族葬や直葬など小さな式で済ませることができる
- お墓へ納骨や散骨などが不要
- 菩提寺がないので法要やお布施などの出費がない
- 法要による時間の拘束や食事等予約の手間がない
- 子孫への負担がない
収骨しないデメリット
- 地域や親戚など世間体が悪い場合がある
- それにより地域や親戚からのバッシングが起きる可能性がある
- 亡くなった人へ寄せる心の拠り所がない
- 亡くなった人の友人知人がお参りのため自宅に押しかける可能性がある
- 斎場によっては受け付けてくれない可能性がある
収骨した場合のメリット・デメリット
ここでは収骨した場合の、私なりが感じる世間一般的な対応のメリット・デメリットを挙げていきます。
収骨する場合のメリット
- 地域や親戚一同が安心する
- 地域や親戚からの信頼が厚くなる
- 亡くなった人へ寄せる心の拠り所がある
- 亡くなった人の友人知人が菩提寺やお墓へお参りに行きやすい
収骨する場合のデメリット
- 法要のために菩提寺を探さなくてはいけない(宗旨宗派が決まってなければ決める=檀家になる)
- 納骨するためにお墓の建立(お墓は建てるのも仕舞うのも高額)または合同墓
- 散骨する場合は問題が起きやすい
- どうにもできずにお骨を捨ててしまうと犯罪になる(死体遺棄罪)
- 法要などに時間と手間が取られる
- 子孫へ負担を引き継がせることになる(子孫に墓じまいをさせることになる、または放置墓になる)
- これら全てに多額の費用が掛かる(葬式、戒名、年次法要、お墓、お仏壇、お布施や会食お車代など)
父からの最後のプレゼント
父は死んでもなお生きている者に負担を負わせるよりは、生きている者のためにと少しでも遺産を温存するためにこのような遺書を書いたのではないかと思います。
おかげで残された遺産を十分活用することができ、独立開業ができたことは父からの最後のプレゼントだったのだと思います。
ただ、独立開業したとはいえ収入は少なく安定していませんし、この先も自分が健康である保証はありません。
もし故人の遺志を曲げて収骨していたら、そしてお墓を建てていたら、そう考えるととても今の状況では生活は破綻していたでしょう。
私からするとヤンチャな父でしたが最後に父たる優しさを感じたのでした。