【処世術的な何か】将来何をしたいのかわからない不安な人へ、人生流されたっていいじゃないか

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「自分には目指す目標や夢がない」とか「将来、何になりたいなんてわからない」など、人生の帰路に立たされて悩んでいる人はきっと多いはず。

自分もそうだったし、今の自分は決して子供の頃になりたかった姿じゃない。

誰かに言われるがまま、勧められるがまま半世紀以上流されてきた自分に起きたことを今回は書いていきます。

目次

いつも進路で流され続けた自分

自分の子供の頃は将来何になりたいかなんてわからなかった。

周りから急かされても理解できなくて、将来像のイメージは全く湧かなかった。

勉強は大嫌いだった。

というより勉強の仕方がわからなかった。

親に聞いても「そんなの勉強すればいい」とだけ言われて何の解決もしなかった。

多分、親も勉強の仕方がわからなかったんだと思う。

そんな自分は中学生の時の進路相談で、普通に皆が行く地元の公立高校すら選べないほどの成績だった。

進路指導の先生も呆れてて「工業系だったらひょっとすると行けるかもしれないな」ぐらいのアドバイスだったから、その時たまたま電気に興味があったのでとりあえず電気科を志望した。

電気科の高校ではほとんどの人が就職志望クラスだった。

しかし父から「とりあえず大学まで行け」と言われていたので、言われるがまま進学クラスに進んだ。

さて、工業系の高校だから工業系の大学に進学するのが当たり前だろうけど、成績的に行ける大学も選べるような状況じゃなかった。しかも大学附属の高校なのでエスカレーター的に入学できるはずなのにその大学ですら入学は厳しかった。

入れそうな大学でも興味ある学科は無いなと思っていたら、その候補の中に美術系の大学があった。

中学、高校とも部活動は美術部だったので、ただ一つの得意だった美術系。しかも入学できる可能性があるというので結局ここでも流されて美術系の大学を目指すことにした。

まあ、工業系は実験のデータ取りやそれに対する実験結果の報告書を書くのがキツかったのと、勉強は得意じゃなかったので美術系の大学を選んで後々よかったと思った。

そうしたご縁があって美術系の大学に入学することができた。

部活動は流石に美術系の大学にまで来て美術部は無いだろうと思って、方針を180度変えてスポーツ系の部活動に入ることにした。

入った部活はスキー部。

なぜスキー部かというと、自分は球を使う競技は全てダメ、格闘技系も痛いからヤダ、というわけで最終的にスキー部が残ったから。

スキー部なら冬だけ活動だろうとか安直に考えていたのかもしれない。でも一番大きかったのは大学でできた友人に誘われたからだろう。

スキー部は本当に楽しかった。

お恥ずかしい話、大学2〜3年の頃は月水金の部活しか学校に来ていない時期もあったほどだ。

そんなことをしていたので単位は不足しまくり。なので、4年生の時は1年生に混じって手当たり次第取得可能な授業を無遅刻無欠席で真面目に受けた。一つでも単位を落とすと卒業できないからだ。

おかげで何とか卒業単位をギリギリ取ることができた。

しかし、気づいたときにはすでに就職活動の時期は終盤戦。

友人たちはすでに内定をもらい始めてた頃。これから就職先を探すの?なんて就職指導の先生に呆れられる。

しかし採用枠がまだ残っていた会社がたまたまあった。

もうそこぐらいしか残っていないので迷うこともなかった。これも何かのご縁だろう。

ちょうどバブル期ギリギリ入ってる頃だったので大変運が良かったと思う。

Macとの出会いとDTP革命

こうして大学を卒業して入った会社は社員規模100人ほどの印刷会社だった。

創業50年の結構な老舗。自社ビル持ち。

しばらくはアナログの作業で数年やってきたが、仕事は結構面白かったので残業も、徹夜も、休日出勤もあまり苦じゃなかった。(今では完全に労基法違反なのですが、当時は緩かった)

そうしてある日「〇〇商社へマッキントッシュを見に行け」と社長から指示された。「マッキントッシュ?何でチョコレート?」と思った。でもそれこそがMacとの出会いだった。

当時会社に初めて導入したのはMacintosh IIcx。

導入したての頃は機械の能力的に仕事に生かせず、ロゴマークをトレースしてモノクロプリントし、印画紙へ転写したり、写植機(写真植字という活字を印画紙に転写できる機械)の代わりに使う程度だった。

そのうちバブル後の世の中が不況真っ只中にMacの方は劇的に進化し始め、簡単なチラシ広告ぐらいはデザイナーだけで作れるようになってきた。

それまで印刷業界には写植業者に活字や写真の位置を示したセルフィルムなどを重ねた版下と呼ばれる台紙を作成依頼、その後校正・修正したものを製版業者で印刷用のフィルムに仕上げてもらうという分業体制があった。

そして印刷会社の周りにはそう言った業者さんがたくさんあった。

しかしデザイナーが作ったものをMacによって直接印刷用のフィルムに出力できるようになったことで写植屋さん・製版屋さんが担っていた工程はすっ飛ばされる事態が起きた。これがDTP革命だった。

自分が流されて入った印刷会社だったが、何故だかうまいこと革命の恩恵を享受する側にいた。

ただし、今まで業者がやってくれてた事まで全部自分がやることになったので、結局仕事の内容は濃くなった。お陰でDTPについて鍛えられたのはこの時で間違いない。

そして何人もの新人にDTPを教えてきた。ほとんどの人が仕事が辛くて辞めちゃったけどね。

紆余曲折しても

結局あちこち寄り道してきたように思っていたけど、 振り返ったら今までのことが全て結びついていた。

電気科出身のおかげでパソコンを操作したことがあり、パソコンに興味があった。また実験結果の報告書を書いてきてたので文章を書くにも抵抗はなかった。

美術系出身のおかげで絵を描くことに慣れていたし、色に関しても知識はあったので印刷技術に関してもすんなり理解できた。

スキー部のおかげで体力も根性もついていたので少々の徹夜も休日出勤も苦じゃなかった。

パソコン使う仕事だったので仕事の合間に会社のホームページも作った。なぜかテストしたくてアドセンスを会社のホームページに載せて怒られたこともあった。(広告収入で少しでも売り上げの足しになるかと思ったが、さすがに競合他社の広告が入るのはまずいだろと怒られた)

撮り位置をずらして撮影した画像を左右それぞれ赤と青の単色にしてPhotoshopで乗算で重ねあわせ、その画像をカラーコピー機で出力し、赤と青のセロファンで3Dメガネを手作りして3D実験をしてちゃんと立体像に見えた時は興奮した。

チラシやカタログで使えるかもと実験したけど、3Dメガネを作らなきゃいけない時点で予算的にダメだろうと没どころか、会社の設備を使って遊ぶなと怒られた。けど実験は成功したのでどうでも良かった。

Photoshopでカラー写真を4色分解※し、CMYK版ごとにモノクロレーザーで出力、「プリントごっこ」でCMYKプロセスインクを使ってカラー写真の再現を成功させた時も大変面白かった。

4色分解とは
カラー写真はCシアン(青)Mマゼンタ(ピンク)Yイエロー(黄)Kブラック(黒)の4つの要素(色)に分けることができる。そして分解した後、再びそれぞれの色を重ねて印刷するとカラー写真を再現できる。CMYKはプロセスカラーとも呼ぶ。チラシやカタログなど身近にある印刷物はほぼ4色印刷。

深夜に会社の電話のジャックを抜いて当時持っていたシャープの「ザウルス」に繋いでダイヤルアップ回線でネットに接続し、こっそりゲームをダウンロードしたり、パソコン通信したこともあった。

深夜にISDN回線を使って「DOOM I」のオンラインPVPをやったこともあったけど、回線遅すぎて無理だった。

当時はまだ、データのやり取りはMOディスクに入れてバイク便で発送が主流で最速だったからね。

じゅうえん

決して仕事サボったわけじゃないですよ。終電逃すまで残業した結果、会社に泊まることになったからで、仕事終わってからやったんです。それに10年以上前のことなので時効でしょう。

これら全て、今まで何かしらの経験をしていたから思いついたし行動もできた。

もし経験していなかったら思いつきもしなかっただろうし、出来なかっただろうと思う。

今の姿は自分が子供の頃から目指していたわけでもない。周りから言われるがまま流されるがまま辿った人生だった。だけど、結局寄り道なんて全然していなかったと思った。

実は有名な方も・・・

レイ・クロック氏

かのマクドナルドコーポレーションを設立した創業者レイ・クロック氏は、ピアニストから、紙コップのセールスマン、ジャズ演奏家、バンドメンバーなどを経て「マルチミキサー」の独占販売セールスとなりアメリカ全土を旅して回っていた。

その途中にマクドナルド兄弟と出会ったのがきっかけで、最終的に52歳の時にマクドナルドシステム会社を設立した。

イーロン・マスク氏

かの宇宙開発企業スペースX、電気自動車企業テスラの創設者でもあるイーロン・マスク氏も、高エネルギー物理学を学ぶためにスタンフォード大学の大学院へ進むが、2日在籍しただけで自主退学。

弟のキンバル・マスク氏とともに、オンラインコンテンツ出版ソフト会社を起業。その会社はのちにコンパック社に買収されることとなり2,200万ドルを手に入れた。

その後はオンライン金融サービスのX.com社(後のPayPal社)を立ち上げ、後にeBayに買収されて1億8000万ドルを手に入れた。そしてご存じスペースX社の起業とテスラ会長になった。

彼らは幼い頃からなりたかった自分を実現したわけじゃない。

あれこれ試し、その時代にあった流れを渡り歩き、大波に乗れたのだ。

やりたいことが決まっている人は少ない

子供のうちからやりたいことが決まっていて、実際に人生設計をして目標に向かって前進できる人なんて、本当に数少ない希少人種だ。

しかも、ちゃんと目標を達成できた人なんて宝くじ当たるより確率低いんじゃないかと思う。

その点、私のようにいつまで経っても目標を決められず、周りに急かされてただ焦るだけの人は普通。

というか希少人種以外は全てそうだと思う。

だから、焦らなくていい。

進路に迷ってもほんの少しでも興味があるのなら進んでみた方がいい。

無駄な寄り道と思わないでほしい。

そうして流されても、少しでも得る知識があって、誰もしていない経験をして、それが自分の感想ではくだらないものだと思っていても、他の誰かから見れば全く知らない世界なんだということを。

数多ある会社で、しがないサラリーマンをしていても、他の人からすれば思いもよらない凄いことをしていたって、自分は気づいていないだけだと思う。

とにかく目についたことに挑戦してみよう。

ただかじるだけじゃない、しみじみ味わってみて、自分に合わないと思ったら次に行こう。

頭は柔らかく、周りを見渡して興味あることを探そう。そしてそれはなるべく若いうちにやったほうがいい。

資格に逃げない

資格を取るのは就職が決まってからでいい

なぜかというと、入社前に資格を取ってしまうと、資格の取得費用が全て個人負担になるからだ。

入社後に必要な資格があれば、ある程度の、または全額会社負担で資格が取れることがある。

やることが決まっていなくて、就職先も決まらないから資格を取ることに逃げるなんてことは、正直時間とお金の無駄だと思う。

とにかくまずは資格より「経験」だ。

ゲームに例えて申し訳ないが、スキルを獲得しても、そのスキルレベルが1のままでは正直意味がない。

それよりも「独学でアプリを作りました」「〇〇へ一人旅しました」「自転車で〇〇一周を達成し動画を公開しました」「〇〇同好会でリーダーやりました」など経験なら何でもいい。

就職先が求めているのは資格じゃなく経験だ。

「資格がなければ、とある就職先に応募できない」ということもあるけど、とある就職先しかこの世に選択肢は無いのだろうか。

それに資格を取る時は勉強に集中することになるので不安は払拭される。が、いざ資格を取ってから「さてどうしよう」と思われた経験はないだろうか。

そして不安になり、また別の資格を取る。

いつしか資格マニアになってしまい収入は一向に増えないなんて事にならないように。

資格の中には維持費(更新費や研修費)が必要なものもあるから。

生活を脅かすほどの投資はやめよう。それはただのギャンブルだから。
生活が厳しいのに多額の情報商材や資格教材を購入したり、月100万儲かると謳うネットビジネスやコミュニティサイトへ多額の会費を払うとか。
稼ぐ前に多額のお金を払うことへ違和感を覚えよう。
考える事をやめた者は一発逆転を狙う。欺く者はそれを知っていて利用する。

じゅうえん

以上のことは全ての人に当てはまるわけでは無いと思いますが、自分が経験してきた上での話であり、実感しています。
自分は特に行動力があるとは思っていません。でも飛び込んだからにはやらざるを得ない状況に身を置いています。皆さんにはこの先幸多からんことを願って。

旅行

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